湖畔荘での出逢い
夏子は、はやる気持ちを抑えながら、みなと未来に到着するのを待った。
狩場線の前方にベイブリッジの灯りを見ると、アッという間にみなと未来の雑踏のなかに滑り込んだ。
「夏ちゃん、彼によろしく!」心配そうに恭子が言葉をかけた。 「わたし会ってみたいけど・・こんどね!」運転席から、華子がイタズラっぽく微笑んで言った。 「それじゃ、チャオ!」BSWを慌てて降りた夏子は、ローラアシュレイの花柄ワンピースを漲らせ、テニスで鍛えたスマートな身体を小躍りさせて、タワーのなかへ消えて行った。 化粧直しをするのも忘れ、真之が待つシリウスへ夢中で上った。 70階に降り立つと、夏子の可憐な姿を見つけた真之が、カジュアルな格好で駆け寄って来た。 「やあ!お元気そうですね、夏子さん!」 「うれしいわ!お会いできて・・」 「突然だったし、遅かったから、ダメかなって思ったのだけど・・」 「わたし、我慢ができなくなって・・」夏子は思わず抱きついて、真之の胸に顔をうずめた。 真之は、夏子の背中へ優しく手をまわし、美しい夜景の見える、想い出の指定席へエスコートした。 夏子が大学に進学した年の夏、山中湖のテニス村恒例のテニス部合宿に参加した際、3年生だったマネージャーの澤田から受けた爽やかな親切が、何故か、夏子の心をときめかす淡い想い出となっていた。そして、シリウスのその席は三田祭の後夜祭の後で誘われて、はじめて連れてこられたところだった。 真之のオーダーしたワインが運ばれてきた。 夏子の胸のときめきは最高潮に達していた。 「乾杯!夏子さん!」 「真之さん!乾杯!」
ふたりで見る久しぶりの夜景に夏子は痺れた。 クリスチャンディオールのルージュで染まる夏子のグラスに、牡丹色のワインが何度も注がれ、夏子の酔がまわっていた。 真之の顔を見上げると、夏子は静かに目を閉じて唇を求めた。 夏子を優しく抱きしめた真之は、震える唇へ熱く重ねていった。 感激に咽る夏子の涙が、はばかることなく頬を濡らしていた。 「苦しめてしまって、悪かったと思っています」 「ぼくは夏子さんを、いまでも愛しています」 しばし、夏子と真之の熱い抱擁が続いた。 半年間ニューヨークの本社へCPA(米国公認会計士)の研修に行っていたことを、夏子は知らなかった。 真之は夏子の頬を優しく拭うと、上着から赤いリボンの付いたケースを取出し、夏子の透き通るように白い手にのせた。 「貴女につけてもらおうと思って買って来ました・・」 夏子はこどものような眼差しで真之の目を見つめた。 ケースの赤いリボンを解きながら、ティファニーの包みだと夏子には分かった。夏子の胸の鼓動は、どんどん高まるばかりだった。 リボンを解く手の動きが、突然、思い留まるように止まった。 疑問を晴らすように、はっきりした口調で夏子が言った。 「真之さん、どこかへ行ってらしたのですか?」 「話をすると心配すると思って、黙って行って来ました」 「真之さん、もしやニューヨークへ?・・」 「えぇ、半年前に急に、本社でCPAの研修を受ける事になって・・」 「つい2週間前に帰ってきました」 夏子は、真之の顔を見つめるだけで声が出なかった。
「行っている間は、ずっと貴方のことばかり思っていました」真之は、夏子の目をジッと捉えていた。 「それを、気に入っていただけたらうれしいです・・」 夏子は、思わず自分の目を疑った。 「ありがとう、真之さん!」 ケースを開くと、ティファニーNYの、婚約指輪のダイヤがキラッと輝いた。 「こんなに素敵な指輪を頂いて、わたしすごくうれしいです!」 きょうまで迷いに迷い、悶々と過してきたのに、突然、決心させたのは、鎌倉山での真之の愛の言葉を、もう一度会って確かめてみたいという、夏子の淡い期待からだった。 後夜祭の後に誘われたシリウスで、初めて甘いムードに浸りながら夜を過ごして以来、夏子の心は、夕暮の山中湖畔を夢を語り合いながら歩いたことや、厳しい練習のあとでやさしく言葉をかけてくれた、澤田マネージャへの淡い思いから、だんだん離れられなくなっていた。 そんな思いに浸っていたある日、ふたりの共通の学友のヨットでクルージングした後、葉山のヨットハーバーから黄昏の鎌倉山に連れてこられた車のなかで、いきなり熱烈な愛を打明けられたのだった。 それから数日たったある日、夏子の誕生日プレゼントを買いに、黄葉の表参道をふたりで歩いていて、夏子と同じ学部の手塚ナナとぱったり出会ったときのことだった。 「あらっ!澤田先輩!きょうは夏子とデートなのですか?・・」 「この間は、ナナにチョーやさしくしてくれて、ありがとう!先輩。。」 ナナとバッタリ会ったのは、偶然にも2度目だった。 六本木ヒルズでデート中に鉢合わせしたときは、ナナのほうも同伴だった。 夏子の胸を突き刺すようなナナの戯言に反論しなかった澤田の態度が、夏子には衝撃だった。 「わたし、帰ります!・・・」夏子は顔を抑えるように、地下鉄の階段を駆け下りていったのだった。